上出長右衛門窯について

時代を経ても瑞々しさを感じられる九谷焼

上出長右衛門窯は明治12年(1879年)、九谷焼中興の祖である九谷庄三の出生地、石川県能美郡寺井村に創業しました。

明治に入り殖産興業として盛り上がりを見せていた九谷焼を、旅籠業を営んでいた初代上出長右衛門が、富山の薬売りを介して全国に販売するところからその歴史ははじまりました。その後二代目長右衛門(清松)が本格的に九谷焼製造販売(問屋業)を専業とし、3代目長右衛門(政二)が昭和16年(1941年)に自社工房と共に窯を築き、窯元として今に至ります。

東洋で始まった磁器の歴史を舞台にしながら、伝統に固執しない柔軟な姿勢で、割烹食器を中心に発表しています。職人による手仕事にこだわり、時代を経ても瑞々しさを感じられる九谷焼の焼造を目指しています。

http://www.choemon.com/

年に二度、5月と10月に窯を解放し、絵付体験や蔵出し市などをお楽しみ頂ける「窯まつり」と「轆轤まつり」を開催しています。

https://www.kamamatsuri.com/

 

謎と多様性の焼き物、九谷焼

九谷焼は石川県南部を中心に生産されている色絵磁器です。その歴史は〈古九谷〉と〈再興九谷〉に大きく別けられます。古九谷は、元禄文化が始まろうとしていた明暦元年(1655年)に、大聖寺藩直営にて雪深い山間の里、加賀国江沼郡九谷村(加賀市山中温泉九谷町)で始まりました。百万石を領した加賀藩は京都や江戸から蒔絵や金工の名工、狩野派の画工も多く招聘し、中国や西洋から文物を収集するなど文化政策に力を注ぎ、分家した大聖寺藩の九谷焼創成にも大きな影響を及ぼしました。豪放華麗な絵柄と筆使いが見る者を圧倒する古九谷ですが、開窯から約五十年後には突然廃絶の道を辿ります。その理由は諸説あるものの未だ定かではなく深い謎に包まれています。そして、その百年後、加賀藩直営で九谷焼再興の先鞭を着けると、以降様々な窯が各地で興り再興九谷の時代に入ります。各窯はその指導者や招聘された画工の好み、または流行によって様々な画風を確立させました。中でも能美郡寺井村(現能美市寺井町)に生まれた九谷庄三は門弟三百余人ともいわれ、庄三が生み出した〈彩色金襴手〉は海外にも輸出され人気を呼びました。このような流れが明治以降今日に至る多様な九谷焼の源流となっています。